憂我
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もうすっかり忘れたくとも、忘れらる物では無くなったあの名前、

けどもうそれに伴う感情なんて何処か記憶の彼方に忘れていた頃、

あいつは突然、俺の前に現れた。


まさかとは、思っていたけど。

別に驚きもしなかった。

まあ、いつかこんな日が来る気がしていたし。

同じ世界に居れば遅かれ早かれいつか必ず向き合う事になる。それが今日だったと言うだけの事。

…なんて、こんなもんだと綺麗に割り切れたら人間苦労はしない。



それは高校2年の春。

推薦組の一足早い新入部員収集の日。

俺達の前に綺麗に並んだのは、中学よりも更に門の狭い高等部に入学を許された…通称、エリート達。

その中の1人に、奴は居た。


「桜上水中から来ました。水野竜也です。」


硬い面持ちでそう言ったあいつの顔は、多少の背の高さ以外、1年半前のあの時と、殆ど変わる事はなかった…

隣で嬉しそうにそれを見る渋沢の顔が、今日はやけにムカ付いた。

いろんな葛藤や煩悶を胸に抱いたまま始まった、2年目の高校生活。


1群候補の面倒を見るのは、

俺達2年の1群と1群控えの仕事。

無論それは、今さらもう自分達には否も応も無い極当然の習慣で、大した仕事にも思えなかったが、

否、それだけだったら大した事はなかったと言うべきか。


まさか。

「んで、テメ−がここにいんだよっ、」

「なっ、」


新しい寮の部屋の戸を開けた途端、そこには、

振り向いたまま固まる荷ほどき中の水野竜也の姿。


これは、ねーだろ。


俺はノブを握ったまま何ベンも目を疑うものの…

つーかこれは、ありえねーから。

「まさか、あんたが…」

呆然としながら俺を見上げる奴から漏れた声に、

やっと我に返る。

「ああ?おい、先輩に向かって何だって?…」

重い諦めと一緒にドアを閉めると、片眉をしかめつつ、つかつかと部屋へ入っていって今あいつが張ったであろうシーツの上にどかりと腰かけた。

「あっ!」と、見る見る眉をつり上げた奴にフンと鼻で笑う。

「テメ−何勝手に場所決めてんだよ、ああ?新入生君よ、」

「勝手って、もう向こうに荷物が置いてあったから…」

反対側の壁際には、春休みの内にすっかり引っ越しを済ませた三上の荷物、と言うか、竜也のスペースは机とベットだけ、と言っても良い程、既に部屋の内装は彼の荷物で溢れていた。

実は三上も、半端の1人部屋だと思っていたここが、1年との相部屋だった事を聞かされたのは、つい一昨日の事だったのだ。


「お前の場所はこの線からこっち、俺のはこっち、はみ出たら即没収」

「没収って…お前、それ持って行くなよ!」

「あーうっせ、ちっと借りるだけつってんだろ〜?」

「ったくついてねーー、」

とゴロンと寝転ぶ俺の横で、

それはこっちのセリフだ。と言いたげな、げんなりした顔が下を向いていた。





これから、俺を控えに追いやろうって奴と、毎日、

一年も同じ一間で暮らす。

それは殆ど無理に近かった。

後で知ったのは、水野と三上と言う名前の順が、経理上の便が良かった事が理由になって、こうなったと言う事。

それだけじゃ無いわよ…

さりげに訴えに言った俺に寮母は他人事だと思って言いたい放題。

「MF同士だったしね〜、三上君がFWだったら流石の私も考えたわよ、」

は?

それは何か?俺とバカ代の仲だけを見て勝手に決めてねーか?

もおいい、寮母じゃ無くて直接経理と話しをしてやると背中を向けた俺に届いたのは、止めの一言。

「ちゃんと相性だって見たんだし、どーしてもダメになってから来なさい、」

「相性?」

「そうよ、三上君は1月でしょ?それであの子が確か…」

「もおいいです…」

さすがのこの俺が、装えない程真顔になっていた。




結局部屋は変えられないまま、

あいつとの相部屋生活が始まって1週間が経とうとしていた。その日。

消灯まじかに部屋に向かう途中の廊下で、俺は意外な人物とすれ違う。

「三上、」

「監督…」

時間は10時を回っていた。

「何か?」

「ああ、ちょっと水野を呼んで来てくれないか?」

「はあ…、でももう消灯ですから寝てるかも知れませんけど。」

「急用だ、監督室に来る様に伝えてくれ。」

こんな時間まで残っていたのか?否…この人が俺達のプライベートにまで足を運ぶなんて、未だかつてあり得なかった話しだ。

「…判りました・・。」

フに落ちない顔をする俺の前を、それ以上は何も言わずさっと通り過ぎて行った。

・・・・。

『フン…水野ね』

こうもあからさまに、それもこの俺に頼むなんて、ほんと良い度胸してやがるぜ…

あのじじい。

思いながら。

ふと、あの人が来た方向が自分の部屋の方だった事に気付く…

何で自分で呼んで来なかったんだ?

それとも、まさかこんな所でまた親子ゲンカでもしやがったのか?

どうだって、全く迷惑な奴らだ…

考えれば考える程、ふつふつと沸いて来る怒りを、何とか振り払いながら部屋のドアを…

ガチャっとノブに何かが詰まるような嫌な音。


「おい、」
「おい、テメっ…」

何と、ドアにはしっかりと鍵がかかっていて。

信じらんねぇ…あのやろう…

沸き上がる衝動を抑え切れず、三上の右足が勢い良くドアをけり上げた瞬間、

同時に中からピンと言う軽い音。

それから、戸が開いた。


−−−−−!?


「すいません。」

怒鳴り付けてやろうと思って構えていた俺の前に現れたのは、心無し青い顔をした水野、

隙間から少しだけ顔を覗かせて、まるで俺だと確認してから…

中に戻って行った。

何だ?

すっかり覇気をそがれて、続いて中に入れば、部屋は真っ暗だった。

いつもは寝る時も非常灯を付けておくから、こう言う事はめったに無い。

明かりをつけようと、壁を探ってる時に、右の方から布団の布ずれの音が聞こえて、慌ててさっきの用事を思い出す。

「おい、桐監が呼んでるぜ、」

「・・・・…」

「寝てんじゃねーよ、おい?」

同時にパチンと蛍光灯をつけると

かけ布団を抱き込んだままこちらに寝返りを打った格好の水野と目が会った。

「知ってる。」

「いかねーの?」

「ああ、」

「急用だってよ、」

「いい、…ほっとけよ」

どこか様子がおかしい事位言わなくても感じていた。

「そお?・・・。ま、俺はちゃんと言ったからな、」

何となく肌寒さを感じて、後ろを向きながらさっさと着替え始める…が。

背中に視線を感じる。

イヤ、見ては無いかも知れないが、どうも微動だにしない顔がこっちを向きっぱなしと言うのは嫌な気分だ。

「お、見てんじゃねーよっ、」

たまりかねて振り向くと、やっぱり見ていた。

「!!?」ぎょっとして思わず振り向いた程。

だが、

『…こいつ…マジで、変じゃねーか?』

俺と目が会っても焦る気配は無く、

俺に妙な顔をされてからやっと、ふっと視線を伏せる。

ぼっとしてると言うか…、考え事とも何か違う。

口元に当てた人指し指の関節を軽く唇で噛みながら、虚ろな視線を漂わせていた。

Tシャツを頭からかぶりながら、恐る恐る近付く。


何だ?

ホームシック?
夢遊病?

それとも、…突然惚けちまったのか?

ベットの淵まで来て、その顔を覗き込んで見ると

「何か?」

ゆっくりと自分に向けられる視線。

眉を寄せる三上の顏をさっきと同じ様にぼっと見ていた。

おでこに、手を当ててみる。

熱はねーし…。とそこから腕を引こうとした時、

その手首を伸びて来た竜也の腕にがしっと掴まれたのだ。

まじで?

「何?…どーなってんの?アンタ、なあ…」

焦りから声をかけるが反応は、無い。

怖ぇぞ…ちっと、マジかよ。

何が起こっているのか、三上にもさっぱり判らない。ただ赤ん坊みたいになってしまった相手に、

戸惑うばかりだった。

しかし、

何と言うか、

よく考えてみれば、あの憎たらしい水野のこんな顔を見れるなんて、ちょっとした役得の気もしないで無いが。

いざなられると「ムカツク方がまだまし」と思う三上だった。

「みーずーのー君?」

無理には引っ張らず、様子をみながら名を呼んでみると、

それまでぼんやりと亮を移していた瞳が不意に歪み、そして、

「・・・…・」

唇が何かを型どった。

「何?何だって?」

と耳もとを近付けた瞬間、

「もう嫌だ…」

確かに飛び込んで来た小声と一緒に首に回された腕に引かれて、三上の身体が竜也の上ヘと沈んだ。

そのまま、片口に顔を埋められて…抱き着かれる。

あり得ない。あり得ない。マジで無理。

だが、現実は目の前に在って。

「なにが…嫌だって?」

だがそれには答えない。ただ…

背中にすがる指先がきつくなるばかりで。


どの位そうしていたのか…

時計の音だけがやけに大きく響いていた。

やがて規則正しく響いて来る心臓の音。

「・・・・」寝たのかも知れない。

そう思って、そっと身を離すが、奴は起きていた。

きょとんとして自分を見上げて来る水野の顔。

「ぁ…・・」小さく声を上げ、そして気不味そうに眉をしかめると、見る見る内に赤くなった…

ひょっとして、

戻ったのか?

「アンタさあ…何?…病気?」

淡々と訪ねる俺に、困惑した顔が言い訳を探していた。

早速一つ弱味を握った。何て、それは確かなのに、とてもそんな気になれず、

狼狽する本人より、よっぽど重い気持ちで奴の顏を見ていた。

目尻には、本人でも気付いていなそうな、涙の後。

この罪悪感は一体なんなのか、

…同情?俺はこいつに同情している?


だが、自分でも深く考えない内に、気付けば、世界が終ったような顔で狼狽えている奴の額に一つ、

口付けていた。

顔をあげると当然驚いた顔が俺を見上げていて、なのに俺はおくびもせずそれを見返しながら、奴額にかかる髪を掻き揚げていた。

「・・・・。」

暫く放心していた奴だったが、やがてまるで何かを承知した様に伏せられた睫毛。

そのままどちらとも無く口付けたのは

その時、誰のせいでも無かったと思う。


途端、ドアを叩く音に我に返る2人。


出なくても、それが誰だかは分かっていたから、

「寝てろよ」と自分に小さく言って出て行こうとした三上を竜也は止めた。

違う意味で、非難の目を向けた彼に

「大丈夫だ、」

と一言言ってから、扉の向こうへと出て行く。

開いたドアの隙間から見えたのは、思った通りの、あの父親の影。


その時感じた危惧が何だったかの何て、まだ判らずに、

例え、気付いていてもきっと俺はお前を止めようとはしなかった。

お前がそれを望む限り…





「先輩、水野ん家のお母さん亡くなったの、知ってました?」

「いや、…そうなのか!?・・何時?」

「去年の暮れだったそうっすよ…俺も全然気付かなかったけど…」


体育倉庫の横で、偶然その会話を聞いたのはそれから少し後だった。



今日も又日付けが変わった頃、どこからか鬱血の痣だらけになって帰って来た奴を、

俺はただ抱いてねむる。

何も言わず、奴もただ黙って俺の布団に潜り込むと、寝てる俺に向かって「お休み」とだけ言って

眠りに落ちて行く。


馴れ合う気は無い。

お前があの父親から逃れられないのと同じ様に。

俺もまた、このエリートと言う箱の中からは逃れられない1人なのだ。


今はただ、腕の中で静かに吐息を立てるあどけない寝顔をきつく抱き寄せた。






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終り。いつもに増して文章が妙のは…気のせいか?(涙…












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