世田谷物語5
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『では明日3時に、奥様の治療についての御説明が有りますから。』




約束の時間はとうに過ぎて居た。

必ず立ち寄って欲しいと言われたナースステーションは、もぬけの殻で、

昨日の看護婦どころか

暗い廊下の向こうを覗いてみても、誰1人、見当たらなかった。



急患でも…でたのだろうか?

いや…

それにしたって

この病院らしからぬ静けさは…


廊下の突き当たりに一つアルだけの窓に続く緑の床、

その両側に並ぶ病室の数々も、今はぴしゃりと戸がしまって、物音一つもれる気配は無い。


午後3時10分

竜也の診察はもう始まってしまったのだろうか…


「すいません、誰か…」

取りあえず、もう一度奥へと声を張るが、やはり誰も答える者は居ない。

それでも、今火から降ろされたばかりの消毒缶からは湯気が上がっており

テーブルの上に折り重なったやりかけの書類が

この閑散とした病棟の中で唯一人の気を物語っては、いたのだ。


仕方なく、取りあえず廊下を歩き出した足取りは

妻の病室へと向かう。


そう言えば…

看護婦はおろか

ここは、医者すら見当たらない

それに…

見ず知らずのこの街よりは、せっかく側に有る大学病院の方が正直自分の気は楽で、

最後に会った妻は元気そうだったが

今日の応対次第では病院を変えた方が良いかも知れない…

何となくそう思いながら

頭の奥には昨日の看護婦の顔がちらついていた。

余りに似すぎた2人。

しかも名は水野・・…!


まさか…

アレが…?

急にバイトをはじめたとか

自分を驚かす為に黙って…

もしかしたら…

なんて

ある訳無いか…


第一、妻はあの時ちゃんと病室にいたのだ。


そうではないと知りながら、やはりどこかで疑っていたそれが

唐突に甦った事に苦笑しながら

『304号室』

と目に飛び込んで来た戸口を、その時、ついノックも忘れて迷う事無く開けたのだった。




「渋沢さんっ!」

後ろから血相を変えて駆けて来た看護婦が、彼の背中へと辿り着いた時は

もう、遅かった。


突然開け放たれた扉に

驚いて顔を上げた竜也と、はっきりと目が、会う。


一瞬…全てが…衝撃に、何一つ動けなかった。

そこには、ベットの上にうつ伏せながら、医者へ向かって腰を突き出す妻の姿…

自分と目が会った瞬間、恐怖に強張った顔が、次の瞬間にはかっとなって視線を下げる。


「ーーーっ!!」


開いた口が塞がらないなんてもんじゃ、なかった…

治療だとか

医者だとか

全ての事体や立場等さし置いて

どうしようもない衝撃にかっと頭に血が登るのを…

やっと一遍の理性が押さえているだけだった。

いつまでも立ち尽くす自分を、仕方なしと言う感じで振り向いた医者が

乱暴に妻のそこから器具を引き抜くと、やっと何か言おうと口を開いたその瞬間、



「腸の清掃ですよ。」


後ろから伸びて来た腕が自分を廊下へと引っ張り、ぴしゃりと戸を閉めたのだった。

締まり際の隙間から

ガマの穂みたいな男根型の白い器具を再び医者が妻へと捩じ込むのが見えていた。


動揺を隠せず呆然とする

自分の腕に触れる、冷たい指先…


「遅れてすいません、隣の病棟に急患が入って…」

「……。」

当然の様に話しかけて来る看護婦の態度が

今の事体がなんてことない治療の為なのか、それともカモフラージュの為なのか

判らない…

優しく背を押す手に力がこもったのを知っても

平手で口を覆ったまま沈黙を破る事は出来なかった。


「行きましょう、渋沢さん。」

斜下から自分を見上げるのは妻と同じ

あの看護婦の顔…

「…御説明致しますから」

小声で呟いた声に

一つ頷いた。












時々

おかしいとは思っていた。



「お、兄貴お帰り〜」

「お〜…」

居間を通り過ぎて行く自分の顔をソファーの誠二が追うように見て来て。

「…んだよ」と

「いや…兄貴、良く寝てんのにさあ」

…すげークマだなーと思って

「ああ?」

と眉を寄せて、睨みかえすも、

それは実際、亮も自分で思ってる事だった…

「昨日母さんどうだった?」

「どーって?…別に」

言いながら、昨日見た夢と現実の境を確かめる脳裏。

「最近とーさんもおせーしさ、」

結局それか…とTVを付けながら深くソファーに沈む奴をちらりとみながら

「この隙に、浮気でもしてたりしてな…」

と皮肉って笑みを浮かべるが…

飛び起きてまた文句の一つも言うと思った口は

亮を降り返ったまま、急に真顔になったのだった。


「…んだよ…」


珍しく眉を上げた反抗的な誠二の眼差しに、思わず冷蔵庫を開けていた亮の手が止まる…


「兄貴こそ、義母さんの事好きなんじゃねえの?…」


「は?ざけんな…」

反論しようと口を付いた瞬間

誠二の顔がまるで汚い物でも見る様に歪んで

何故かその時

今まで自分の見て来た夢の全てが彼に見すかされている事を、理解したのだ。


悪い悪戯がばれたあの時の様な

じわっとした悪寒が亮を襲う。



一体何時、

何故…

どこまで?…



慌てた頭に浮ぶ単語より先に

毎夜自分の顔をした医者が義母を犯す…あの光景が浮び

しかしあれを見ているのが自分で有って、犯しているのは自分では無いと

論理にもならない言い訳を、何とか目の前のこいつの思い込みを砕く為に…

否…「嫌い振りながら実は好きでしたなんて」

何よりもまだ、自分が一番認めたくも無い

そんな浅ましさを

こんな奴に知れた後ろめたさが何よりも勝って…

必至で言い訳を探しながら顔を上げた瞬間


くっと意地悪く歪んだ誠二の顔が自分を嘲笑ったのだった。


なっ…!



悪夢でも見ている様な気分だった。

後戻りの出来ない深みにはまったような錯角に

耳が遠くなって行くような気分…

と、

途端


真っ暗になった視界








そして、

ゆっくりと覚醒する意識が

本当にコレが夢だった事を告げていた。












横たわってる身体の感覚に

背中が安緒するのが判る。

同時に自分が誰だったかを思い出して

ほっと…苦笑…





ふと目をあけると

そこには…

夕焼けに照らされた天上があった。



「お、竹巳気付いたー?」と


突然、アイスキャンディーをくわえながら上に現れた誠二の顏に、考える前に身を起こそうとした瞬間、

ズキリと走った痛みに

再びソファーに寝転ぶと

後頭部には意外な感触があった。

軟らかいネットの様なそれが人の指だと知るのに

暫くかかっていた…

それからそれがゆっくりと冷たい感触に変わる。

真上に見えたのは、無甘味に自分を見下ろす義母、竜也の顔だった。


「こぶ出来てるから、後ろ気を付けて…」


「こぶ?」

「さっき、須釜さんに跳ねられた時に…」

「スガマさ…!?…ああ…」


そうしてやっと

座敷きで重なって居た2人にショックを受けて

隣のウチへ飛び込んだ帰り

駆け出した道路で、たまたま竹巳のすぐ横を歩いて居た若菜さん狙いの

須釜さんのBMWに吹っ飛ばされた昼間の一件を…

思い出したのだった。




実は笑いをコラえているのか、本気で心配(それは無さそうだが)しているのか、

興味深に覗き込んで来る誠二を、いまいましいと思いながら

いい加減にしろと、払おうと手を伸ばす前に

目元をなぞられていた


「…何…」

「いやクマが…」

「……。」

そして台所の竜也を伺いながら

「で、何があったんだよ?」どうせかあさんと兄貴(亮)だろ?と…

言葉になるより先に腕がばしっとその嬉しそうな顔を遠くへのけていた

『何にも!…』思いながらも、もう声にはせず

ブーブー拗ねる彼を斜目に見ながら

もう一度目をつぶったのだった。




全部嘘か…

…なんだ、よかった…

と思いかけた



その時、


今見えた竜也のエプロンが今朝と違う事に気が付いて

もう一度目を開けた瞬間



相変わらずアイスを加えながらTVのリモコンを回す誠二の後ろで

何時の間にか帰って来ていた制服姿の亮が

一瞬だけ、流しに居た竜也と平行に重なったような…

夕日の逆光で顔は見えぬまま、その影はあっという間に離れて行ったのだった。



それをクモの子一匹逃さず見て居た竹巳の大きな三白眼に、

TVを見て居た誠二が

幾度も視線を反らしながらソファーの隅へと寄って行ったのだった。







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長過ぎて収集の付かなくなった話しをほぼ無理矢理終らせました(--;)
看護婦水野と澁沢の絡みはいつもと同じ展開になりそうだったのではしょってしまいました。
世田谷物語は実は夏前からずっと続いたので、ここまで読んで下さった方がもしいらしたら
本当に長い間;おつき合いありがとうございました;;


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