サマー
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「あ、…悪りぃ…」


「いえ…」


とんと、ぶつかった彼の腕は冷やりと汗ばんでいた。


「っちー」

意識せずとも漏れる小声。

後ろには照りつける真夏の日差しがじりじりと首の後ろを焼いていた。

たまたま隣に並んだのは、水野竜也。



蛇口を捻ってもやっと出て来た水は生温く

それでも渇ききってはりつく喉の痛みに耐え切れず

勢い良く出した水に頭から突っ込むと

顔を洗ったその手で水をすくい、幾度か喉を濯いでからやっと飲下した。


ふと視線を感じて

横を見上げると

パチリとあった目が急いで自分から反らされる。


日焼けした肌のせいで

只でさえ大きな目がいつもよりずっと印象深く、余韻を残す。



「何?」

「いや、ここの蛇口、回らないのか?」

「まーな、」

「不便だな…」

「そう?」



始めて春の総体で会ったあの日から

2年半が立っていた。

わざわざ反らされた視線に話しかけた俺に

努めてごく普通に話し掛ける奴。

だが俺達の何らかの関係が

最後に会ったあれから変わった訳でも何でも無かった。


ただ同じ屋根の下に入ると言う理由で

お互いがお互いを黙してきたそれだけ。

無駄な争いは時間と労力の無駄だと

生憎すらも利害で割り切るこの惰性は

飼いならされたこの自分の、性の一つ。



それでも何事も無かったかの様に

この武蔵森の住人と成り済ましてるあいつの横顔は…

こんな奴だったか?とか…

思い起こさせながら

甦るあの冷たく思い憤怒を思い起こすのも面倒で

結局は、立ち上る熱気と一緒に溶けて消えて行くのだった。




「あっ…、」

隣で小さく上がった声と一緒に

泡を立てていた手の中のシャボンが

彼の足へと飛んだ。


小麦に…近くもまだ白いその膝の上に、ぴしゃりと跳ねた乳白色の小さな泡の下の液体が

つーっと流れて靴下の中へと伝って行く…

その…淫蕩


水野竜也と言う固体を通り越して、

ただそこだけが、視界の中で時を止めていた…。


気付くと、隣で同じ様に自分のそれに見入っていた彼が自分の視線に気付いて視線を上げた

途端、驚いた瞳が

手早に用を済ませると、さっさと逃げる様に昇降口へとかけて行った。

すれ違い様に合わせた視線は

なんの承諾も会話も無かったけど

あのたった一瞬の瞬間が2人の暗黙の秘密になった事を告げていた。


そしてそれは

あの肌を滑り落ちるシャボンに精気を重ねたのが、自分だけでは無かった事を

物語ったのだった。


清廉なおぼっちゃまとシャボンの精子。


その時俺は妙にそれが気に入って

誰にも言わず布団の中に潜ったのを、良く覚えている。






それはたまたま通りかかった夕食の席で、

座ろうとしたあいつの椅子をほんの5B後ろへ引いて、通り過ぎたその後ろから

耳をつんざく度派手な食器の音…そして転がったカップ軌跡。

驚いたのは自分の方で

慌てて振り向けば、「まさか…」と言う顔が、俺の顔を唖然と眺めていた。

そしてスープをぶちまけたTシャツを恐る恐る指でつまみ上げながら

見る見る歪んで行く横顔…

「三上っ!!」

が、その全てを見届ける事なく、俺は運悪く見ていたコーチに捕まって

外へと引きずり出されたのだった。

驚く渋沢や藤代の顔を、俺は何の焦りも感じずただ茫漠と見ていた。


悔やむのは最後まで見る事の出来なかった

あいつの一部始終。




「三上…」

その日の夜

俺を呼び止めたのは、やっぱりあいつだった、

渡り廊下の後ろからそっと近付いた気配に

振り返らなくても、そいつがどんな顔をしているのか

良く判っていた。


「…何か、あったのか?」

渋沢克朗のお出まし。


「別に…何となく」


「水野に謝れ」などと、そんな陳腐がその口から飛び出さない事にほっとしながら

どこまでも見すかしたような奴の物判りに、微かな煮立も感じながら…


「水野の事…嫌いか?」

苦笑いの吐息…

「別に…、どっちでもねぇよ」

それは本音。


何もかも嫌いきれれば

楽だったかも知れないと思う

この微妙な綱渡り

アレだけやっても

何故か昔からあいつを嫌っているのは俺1人で

あいつはそうでもない感じの態度…

まあ眼中に無しって所かと、余計にむかつきながら


粗方の俺の興味は、何故かつい目の前に映る度

奴へと向いてしまうのだった。






容姿端麗

頭脳明晰

文武両…道かどうか、俺がそこまで知る訳も無いが

金網の向こうに確実に奴目当てに増えたギャラリーの声を

今日も無頓着に聞き流しながら

自分がムカツクよりずっと、あいつの事を嫌ってる連中等沢山いたんだと言う事に気が付いて

俺の嫌悪の対象は、いつの間にか変わっていたのかも知れない。


僻根性しか無い下層の連中なんかと

俺が一緒にされたらたまったもんじゃない、と言うのもあったし

生意気で傲慢でヘタレで、ボンボンでも

出来る事出来る奴の方が俺に取ってはよっぽどマシだったから。



出したパスがすんなり通る方がいいだろ

年なんか同じでも上でも下でも

いちいち言わずにスペースへ動けるやつの方が

組んでいたいと思わせるだろ




時々見ている俺の視線に気付いては

あいつは極まり悪そうに視線を反らす様になっていた。









目が覚めたのは、

夜中の2時を回った頃か…

朦朧としながら、何度か床に落ちた色んな物を踏んづけた挙げ句

ドアの取っ手に辿り着いて回した。


廊下は静まり返った夜の闇

それでも、

散乱している部屋の中より幾らか安全だったと言える


眠気が醒めないウチにと

トイレへ向かって

勢い良くドアを…


その時ふっと目の前の手ごたえが無くなって

身体が空に浮く

「ーー!」

何が起きたのか、知る前に

俺は前から来た奴の胸ぐらに向かって突っ込んでいた。

「…ってー…、テメ何しやがんだよ」

「そっちが…」

ん?と顔を上げたのはお互い様。


三上…」


声を上げたのは向こうが先で

慌てて身体を起こすと

ふっと香ったのは奴の髪の匂い…


やけに頬にしっかりと残った、奴の首元の軟らかさを拭いながら

眉を寄せるが、


今日既に2回目の自分の被害にあっている奴の機嫌の方が、倍悪かった。

何も言わず黙って自分の下から這い出ようと、あいつが身を抜いた瞬間、

飛び込んで来たのは

昼間自分のせいで作ったであろう

鎖骨の間にかすかに残ったやけどの後

またそれが

暗い電球の下で

情事の後の鬱血に見えなくも無く…


どうしてこいつを見ると

そんな事ばかり考えてしまう自分が居るのか…


時々その胸にぺたりと触れたくなるのは

何の…つもりなのか


再び見入っていた俺の視線を目で追った

あいつは、今度こそ焦って

「違うからな…」

と口に出していた。


「何が?」

「跡、やけどの跡だから…」

「ああ、…俺の?」

「そう。」


「あ、悪りぃ…」


素直に過った俺に、あいつは驚いた顔を向けながら、それ以上は

何も無かった。


そして、暫く迷ってから真面目な顔で俺を見た。

「前から、言おうと思ってたんだけど…」

「何だよ」



「あんまり…見るなよ…」



『見てねーよっ』とは、言えなかった。

あまりの嘘に、さすがの喉が引きつって…



「言っとくけどなぁ、テメーの事なんか好きでもなんでもねーからな!」

「それはどーも」


フン…と睨み合った視線が、さっさと身を放すとドアの向こうへ消えて行った。





元々何の関係も無かった俺達の間に

できた隔たりは

初めからあった物なのか、それとも

そうで無いとするなら、何と言えると言うのか…








何時からか、

時々三上の視線を感じているのは判っていた…


そこに微かな期待が混じる様になったのは

いつからか…


何故

判っていながら

あんなコトをと

今となっては自分すら判らない



なるべく彼の視界に入らない様に

時々その背中を目にするが

振り返る訳も無く

過ぎて行った…




とんと、ぶつかった彼の腕は冷やりと汗ばんでいた。


「あ…」


再び振り返った彼の姿は

記憶の中よりひと回り大きい。


後ろには照りつける真夏の日差しがじりじりと首の後ろを焼いていて。

たまたま隣に並んだのは、三上亮。


「引退ですね…」

何か出るより先に、自分の方から一つ微笑めば

「おー…」

とそっけない返事を返しながら

その視線が反らされる事は無かった…


顔を上げて、ゆっくりと振り返ると

隣で自分を見上げて来る瞳は

逃げなかった。



「俺には、見られたくもねーんじゃねーの?」

ふと見つめ会った視線にクッと意地悪な笑みを漏らしたその顔に

きょんとしてから眉を歪めた竜也だったが、


「ちょっと、話、いいですか?」

悔しそうに照れた顔でそう言った彼に

微かな笑いと一緒にそのまま腕を伸ばせば

引き寄せたその額は素直にこんと自分の鎖骨に埋まっていた。


「何?」

「何でも…」

そしてその髪を容赦なく撫でた片手に驚いて

「ちょっ…、あんまり触るなよ、」と…

そう言ってはっとした竜也の顔を覗き込んだ三上が

いかにも意味真に笑ったのだった。






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出るはずのない駄作…話的には駄作なんですが…
何となく、自分が好きだったので出してしまいました…;;



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