--------------------------

_

「ねえ竹巳、お母さん今日遅くなるから。ちゃんとピアノ教室行くのよ?」

「うん」

「今月の月謝冷蔵庫に貼って有るから…。」

「うん」

「お父さん帰って来たらちゃんと御飯食べさせてね、最近顔色悪いのよ。」

「うん。」

「竹巳…お願いね?」

「わかってるよ、行ってらっしゃい。」

テレビゲームを前に、一度も振り向く事も無い背中をちょっと寂しそうに見つめてから。

彼女はパタリと静かにドアを閉めた。

呆然と画面に釘ずけの竹巳の手の中、タダ走るだけの主人公はいつも同じ場所で死ぬ。

ジャンプボタンは押さない。

リセット

また。リセット。

彼女の車が通りへ出るまでそれは続いた。

ほんの少し前まで、竹巳の母は普通の専業主婦だった。

今だって、それは変わらない…ハズ。

機会仕掛けのように母がいなくなった居間を振り返る、

がらんとした台所。そのままコントローラーを投げ捨てるとゴロンとカーペットの上へと転がった。

「はあ……。」

……静か。

テーブルの上には今日の夕飯がラップしてある。

いつもだったらこの時間…

ああ、ヒマ……。

竹巳は先日、皆より一足先に名門私立中学への切符を手にしていた。

仕事仕事で帰りの遅い旦那。

普通の子より少し早く手の離れた子供。

「ちょっと頼まれちゃって、毎日って訳じゃ無いし…私もちょっと外にでたいのよ?」

十数年、家事と子育て…特に竹巳の上奏教育一筋に打ち込んで来た彼女が突然そう言い出したのは2カ月前。

20時〜23時。週2回。

学生時代の知り合いが開いたラウンジバーで働き出した。

「何と言うか…ホステスなんだろ?お前に勤まるのか?」

「やあね。あなたが行きたがるような場所とは違いますよ、カウンターからお話するだけなのよ。」

と眉を顰めた父をなんとか説得して、本当にちょっとだった。始めは。

「ごめん。今日ママが急に早引きしちゃって、」

12時を過ぎる日が多くなって行って。

今では20〜ラストのフルタイムが当たり前。

母は楽しそうで。そんな彼女を見ても父は何も言わなかったけど、気付けば何時の間にか帰りが遅くなっていた。

母が家を出るのは決まって5時。早い時は4時。

過ぎて行く時計の針をぼんやりと見るめていると静寂を打ち砕くように電話のベルが鳴り響いた。

「あっ……」

と身を起こしかけて、竹巳は出るのを辞めた。

それは2週間無断欠席してるピアノ教室からに違い無いと思ったから……。

ピアノが嫌いになったわけじゃ無い。

お母さんが嫌いになったわけじゃ無い。

ただ…守らなきゃ。この家を。

父さんが帰って来なくならないように。

毎日それだけを思って来た。

母親が出かけた後竹巳は決して家を出無い。そんな生活がもう1ヶ続いていた。

サッカーが好きで釣りが好きでそんな12才の子供には考えられない生活だったが

そんな事今や竹巳には何の苦痛でも無かった。

どんなに遅くなっても疲れた顔色をして帰って来る父親の顔を見なくては眠れなかった。

怖かった。

自分以外もう誰もこの家から居なくなってしまうその数時間が何より怖かった。

もうダメかも知れない。

眠りにつく度浮んでは、幾度も打ち消した危惧。

でもまだ、認めたく無い。

まだ。失えない。

気付いたら眠っていたらしい、ガタンと言うガレージの物音で目を醒ました。

「あ、お帰り…」

「ただいま…母さんは?…ああ、行ったのか…」

父だった。キッチンの奥を覗き込んでそう言った顔は無表情だったけど、竹巳はそんな父が寂しそうに思えて切なくなった。

ごめんねお父さん…。そう心の中で謝った。

僕では寂しさや不安は拭えない。僕自身が不安でパパに縋ってしまうから。

「お前、ここで寝てたのか?」

「あ、うん。今何時?」

「8時だよ。風引くぞ…」

「今日、早かったね。」

「ああ、ちょっとな…」

何となく判っていた。父は母の仕事が8時からだと思っているから駄目元でも急いで帰って来たに違い無い。

思っているから。

そう言うと背広をソファーに翔けキッチンへと消えて行く父の後を追う。

電子レンジに空揚げを入れている間に父はコーヒーメーカーのスイッチを入れお湯を湧かした。

「今日ね……ああ、パパホントに顔色悪いかもよ。」

「…そうか?」

「うん。ママが言ってた。野菜ジュース飲めって。」

「う〜ん。竹巳これは野菜ジュースと言う名のアオ汁に見えるんだけどなー…。」

「大丈夫だよ、抹茶風味書いてあるから。」

「竹巳…」

「んー何?」

今日始めて…いや、数日振りに竹巳の顔を正面から覗き込んだ父の真面目な顔とちょっとにらみ合っていたが、父の方が先にフと破顔した。ふざけた時にするお決まりのあの顔だ。

「母さんに似て来たな。」

顔を合わせてからあははと笑いあう。

「はいどーぞ。」

ドンとテーブルに置かれた緑色の物体をシカトしてニコニコしながら竹巳の顔を眺めつつコーヒーに口を付けた。

「けど、ホント母さんに似て来たな…お前は」

何処か優しい目の奥でそう言われると、ズクリと胸の奥が痛んだ。

この人を悲しませたく無い……。

学校でも何処でも、大人しいわけじゃ無いが口数は少ない方の竹巳が、この父とは取り分け良く喋った。釣りもサッカーもこの人に教わったのだ。どちらかと言えばずっとパパっ子だった竹巳。

その日親父の機嫌はすこぶる良くて、そんな様子に竹巳はほっとしていた。

時計の針は12時をさしていて、父はお風呂に竹巳は偶然キッチンに降りて来ていた。

よりによって電話の音が鳴り響く。

2コール目を許さずに受話器を取る。できれば父がこの音を聞いていなかった事を願う。

「はい、笠井ですが。」

「あ、タクミ君?お父さん帰ってる?」

「…いえ、まだですけど」

「そう、……じゃあ私がお母さん送って行くから鍵開けといてもらえる?」

「…はい…。」

「2時頃になるけど、いいかしら?ごめんねー。」

「…………。」

店からだった。受話器をおいた手が震えた。

寝巻きにしているトレーナ−の上から紺のラルフをは織ると物音を立てないようにそっと家を抜け出す。

春先のまだ冷たい夜風の中、暗い世田谷の閑静な住宅街をできるだけ足音を響かせないように走った。

店は竹巳の家から500mも行かない、住宅街のど真ん中に有る。一軒家の1階を改築して作ったお洒落なクラシックバーと言う感じだ。子供の竹巳の目から見ても確かに、そこら辺のスナックや居酒屋とは違う。『いかにも母らしい感じ』がした。

母は、優しい人だった。

色白で、線が細くて、それでも若奥さんと言うより。お母さんという単語の似合うような。

本当は好んで人前に出るタイプじゃ無けれど。

根が強いので彼女の決めた事には中々皆逆らえない所があった。

・」

小さいけど厚そうな扉の向こうからは何の音も漏れて来ない。それでもこの向こう側の世界を竹巳は既に何度か見ていた。

キイっと

小さな音を立てて扉が開く。

店内は狭く細長い、カウンターと奥に2席あるだけ。

ドアを開けた時お客もママさんの姿も見えなかった。奥の方から静かな笑い声が聞こえたが観葉植物が邪魔して良く見えない。向こうもまだこちらの訪問に気付いた様子はなかった。

2,3歩黙って奥へ進むと、クスクスと誰かの笑い声が微かに漏れて来た。

突然ムクリと奥のソファーから人影が起き上がった。

奥の長椅子に倒れ込むようにして抱き合っていた2人がちょうど身を起こした所だったのだ。

『なんだ、いたの・・か・・・・・。』

男の首に絡み付く母の腕。そでが肘の上まで落ちて、むき出しになっていた細い手首がやけに白く感じた。

体中の血が頭に昇る。……生まれて始めて。

竹巳に背を向けながら男と舌を吸いあっている母はまだ気付かない。

ママさんの姿はいっこうに見えず。

まるで無声映画の様に流れて行く光景を無言のまま竹巳は見つめ続けた。

動く事が出来なかった。声を出して制止する事も出来なかった。

何故なら………。

「あれ…?君っ・・」

ふいに、視線を上げたのは男の方だった。

「え?…」

と……。

あの時、振り返った母の顔が今でも目に焼ついている。

お約束の驚いたって顔はすぐに消えて、……

悲しそうな顔になったのだ。

たまらなかった。

その視線が。

まるで竹巳を責めているような。哀み。苛立ち。自責。諦め。…軽蔑?

・・・・・バレタ!?

暫く棒のように突っ立ていた竹巳だったが、ふいに後ずさり、母親が制す前に一目散にドアの外に駆け出した。

今来た道を必死で走る。

『汚い。あんたはキタナイよ。俺に。俺だけに、こんな思いをさせて!!』

-----っどうして----!!!!

来る時の嫌な予感は、絶望に変わっていた。

息が切れた。たった数百メートルの道が走れない。歩いてるわけじゃ無いが、

こんな小幅で走ってるとも言えないだろう。

とうとう竹巳は街灯のない電柱の下へ辿り着くと、両手両膝を地べたについて息を切らした。

頭が痛い。

そうして、そっと自分の内股を伝う物に目を向けた・・・・。

涙は無かった。

ただ恨めしかった。

自分がこんな人間であったことが。

こんな目に自分を落としめた母が。

冷えたコンクリ−の冷たさが膝から這い上がって来る。

そっと手を伸ばし。まだ半透明の液体を拭ってみた。

・・・・冷たい・・・・。

冷たい。

涙は無かった。

そして今まで自分が守って来た何もかもがガラクタだと知った。

女、女。あれは結局。

あれも結局   

ただの女。

そして、俺も、

親父も。

ただの男。

ちょうどその時、ザッとなった風に吹かれて満開を待てなかった桜の花びらが、

竹巳の頭上に幾重も舞い落ちてきた。

さえざえとした冷たい空気に舞う花びらに暫く頬をさらしていたが、やがて意を決したように視線を落とすと。

自分の勃起したそれを力一杯握りしめた。

声無き悲鳴があがる。

食いしばった口の中にそれでも涙が入り込んだ。

もっと。もっときつく、もう何も感じなくなればいいと。

悲しみでは無かった。

苦しみでも無かった。

僕はもう何も恐れない。

恐れていた暗闇がこんな物なら、僕に恐れる物はもう何も無い。

弱かった物等、全てここに捨てて行こう。

それはどんな解放よりも自由な瞬間。

1人だった。

・・

こんな桜の下で死んでいたのは誰だったか?

桜の下で男が見たのは白い骨じゃ無かった。男が見たのは…、

・・

行く末まで思い出す事は出来なかった。

・・・・家に帰らなきゃ。

枯れつたの絡まる柵にしがみつきながらふらふらと起き上がる。

新芽が指の隙間にささってちくりとした。

・・

死んでいたのは。

死んでいたのはこの自分。

桜の下に埋もれる秘密

その名は孤独。

◆TOPへ戻る

----------------------------------------------------------------

長い。しかも夜中に路上で何てこと。

ちなみに、実際の私の竹巳のイメージは。

姉がいそう。

母親が三白眼。

マイペースな父親。(見た目は古風)

庭に竹林。

と言うものです。

………ちゃんちゃん。

/・

・/

・/

_/

SEO対策 ショッピングカート レンタルサーバー /テキスト広告 アクセス解析 無料ホームページ ライブチャット ブログ