帰京
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「なあ、タツボン?」

「ん?」

流れて行く窓の景色を眺める横顔を呼んでみるのに、振り向いた顔を見て、

再びシゲは言い淀む。


「何だよ」

「いや…、やっぱええわ」

「?」

これで2度目…

怒る訳では無いが、少々怪訝な顔をした竜也が再び窓の外へと視線を戻していた。

外は雨。

時速300Hの風圧で窓ガラスを伝う水滴が、まるでお玉じゃくしの様に横殴りに流れていった。

何の変哲も無くなった緑の田畑だけの景色を見る振りで、ガラスごしに映る隣の誰かさんを伺えば。

何やらカンコーヒーを握ったまま冴えない顔で考えこんでるシゲの様子。

卒業したら一度実家へ一緒に来て欲しい…と言うのは、前々からのシゲとの約束だった。

今日、卒業式を終えたその足で東京から京都へ向かう新幹線の中。

東京駅に付いた頃からずっと無言になった彼の様子を、竜也もただ黙って伺っていた。

何食わぬ顔で、ペットボトルを傾けていたけど、本当は緊張しているのは竜也も一緒だったのだ。

「お前の親父さんて…そんなに、厳しいのか?」

とうとう、抱いていた疑問をぼそりと声にしてみると。

「や、…怖くはない。見てくれは。多分。」

「・・・・。」

「ただ黒い。」

そう言って自分の顔を真面目な顔で振り向いて、暫くじっと見た後、再び大きな溜め息。

「な、なんだよ。」

「ああ…、タツボン何言われても気にせんといてな」

「大丈夫だよ。」


京の老舗の大旦那がどんなかなんて、中々想像付く物では無かったが、

これでも、スポーツ会の頑固な年より方とは小さな頃から顔を合わせる機会のあった自分にだって、

多少の免疫はついてるから…。と眉を寄せる彼の自信に

シゲは再び小さく頭を落とした。


「タツボンは京女の恐ろしさをまだわかっとらんからな…」

「何だよそれ。て言うか、今は親父さんの話しだろ。」

首を横に振る。


「基本的にそのボス。な分けやから…」

「・・・。」

「まあ、取って食ったりはされんから、…叩き出されるくらいはあってもな…」

半分本気で半分嘘で、

ちょっと言い過ぎかと思いながら、でもこいつすぐ傷つくから言っとかないと後が怖いし…

仕方ないんだと隣を伺うと、なんと、

怒ったような傷ついたような竜也の真面目な顔。


「タツボン?」

「…そんなに嫌なら、俺を辞めれば良いだろ」

「!…」

「親に合わす顔も無いような相手だと思うなら」そこで口を塞がれる。

隣の席のサラリーマンが、目を覚ましたのだ。


「せやったら、初めから京都なんか連れてかんわ、」

身を起こすと人目を確かめ、竜也の口を塞いだまま涙の滲む目元に口付けてから、

再びシートへと戻った。


全くこれだからボンはと

拗ねながら、ちょっと赤くなってるお隣さんを見ながら

…そこがえんやけど、と含み笑い。

胸に落ちる優しい愛しさに、その手を強く握りしめた。





付いた京都は、やっぱり雨だった。

「前に来た時とあんまり変わって無いな、」

「そか?」

降り立って、少し嬉しそうにそう言った竜也にほっとしながら

良い思い出が、思い出したくも無い地名に変わらない事を祈りつつ

道を、進んだ。


駅からは十数分。

白い石畳の道を公園沿いに歩いて、規則正しく並んだ幾つかの道を曲がると、

見えて来た、彼ののれん。


また1年半ぶりか…

今度はちゃんと達しを貰ってやって来たとは言え、

まだ何かを成し遂げた訳でなし。「何しにきたんだ?」

とあしらわれる位が関の山だろうと思いつつ

ふと気付けば目を大きくして藤村屋の文字とシゲを見比べる竜也に

躓きそうになりながら

「何や…」と苦笑い

「いや、行こう。」

と笑いを噛み殺してそう言った相手にむっとしながら、

「覚悟しときぃ…」と、ふざけてから店先へとくぐって行った。




「あら…まあ」


百合子おばさん?

出迎えた黒髪の女性の似具合に思わず言葉を失いながら、会釈する。

笑う笑顔はさすがの愛想なのに、二人を見る目は見るからにあんまり面白く無さそうな顔。

「紅葉姉さんや」

「そちらはんは?お友達どすか?」

シゲの言葉を遮った鋭い語尾。

ついさっきまでふざける余裕のあったシゲの顔は、もうピシリと硬い物になっていた。

「はじめまして。」

そう言う竜也を上から下まで眺める静かな視線。

「いえうちらこそ、お話は聞いてまんねん。お父ちゃんやろ?」

「どうぞ、お上がりやす」


…そうか。愛人の子供だって、言ってたな…

自分達の中ではいつも大人びて、背一個上から見下ろすような余裕のシゲが、こんなに張り詰めているのを見るのは初めてだった。

こいつが、こんな風に育って来たなんて…

東京での自由な振る舞いが、何の裏返しだったのかを一気に見せられたようで、なんだか切なかった。

それはもうすぐ書斎の障子の前と言う所で、

「東京の方でいらっしゃるんどすか?」

「はい。」

「…姉さんも東京に嫁いどるんや。」

姉さん…シゲの口からそんなセリフを聞くのも意外で、どことなく長い渡り廊下を歩く度にまるで別世界に来たような空気に、不安が襲った。

「そうなんですか、」

「ええ、今日は女将がおらんで、たまたま戻っとったんですわ。」

で、何はんでしたっけ?

「水野です。」

「それほなぁ水野さん、義弟をよろしゅう頼みまんねんわ」

そう言って首を傾げて竜也に微笑むと、引き戸の前へと二人を先導する。

それから、一礼をした彼女に竜也が頭を下げた瞬間だった。


「せやけど、この前来はった吉田さん家の子のが、あんたにはあっとる気がしまんねんけどね。」


シゲの横を通り過ぎ様としていた彼女が、はっきりと、竜也にも聞こえる様に囁いて言ったのだった。


思わず紅葉を振り返った腕をシゲに掴まれる。

「タツボン。」

だが、自分を見上げたその目の色に、何の弁解すら言えなくなっていた。








黙って、その古都を歩き続ける後ろ姿に何と声をかけて良いのやら、

あんなに曇っていた空は、何時の間にかすっかり夕焼けになっていた。

「吉田も来たのか…」

「ああ、来た。」

「あいつはどうだった?」

「…お父んと漫談しとった…」

「らしいな」

クスりと笑った声に、だが背中はそうは言って無かった。

「別に…サルかて、他の奴かて普通に来た事あるで?」


「本当はどっちなんだ?」


自分と彼と…

結局それが、ずっと聞きたかった事。


「…わからんのや…」

初めて、それを言った彼に竜也が驚いて振り向いた。

心底困った様な苦笑が胸に刺さった。


「高校、こっちにしたんだろ?」

「知ってたん?」

「ああ。」

「そか…。」


「じゃあ、お別れだな。」


夕日の中でそう言った竜也の顔が、こんな時なのに

綺麗だと思った。

「うち、泊まってかんの?」

「遠慮しとく。」

「まだお母んにあってないやろ?」


口元だけ微笑みながら、悲しそうに俯いた顔が静かにかぶりを振った。

「さよか」

シゲの口調も、何を急かす訳でも無くいつものたおやかさ。


「タツボン。」

「決めたら、また会おう。」それが最後でも…


そう言って、背を向けた彼の姿が脳裏に焼き付いて、考えるより先に

歩道のブロックを向こうへ飛び越え様とした身体を、後ろからぐっと引っぱっていた。

がくんと踏み外して「何だよ、」と振り向き様に怒りを露にした竜也の肩を掴むと、真っ向から向き会わせる。


「けど俺が自分から手に入れよ思たんは、あんただけ何や。」


「ありがと…」

だが、その告白にも竜也は軽く笑っただけだった。それだけ言って彼はその腕をのけて行った。


ありがとう。

俺もそう思ってた、そう思いたかった。

初めて気の会う奴に会えたから。

自分がそうだから、お前もそうだと思いこんで。

今考えたらとんだ笑い話だけど、

友情なのか、嫉妬なのか、

届きたくて、分けも判らずに苦しんだ日々。

思い出しただけで今でもぞっとする。


でも結局結局お前は誰にでも優しいだけなんだと。

知った。



涙は出なかった。

暗澹と悲観に暮れるのももう嫌だ。

もうそんなに弱くは無い。



ただ悲しいだけ。

弱さを認められる分だけ、少しはマシになったのだろうか…







帰りのチケットはすんなり取れた。

こんな平日の中途半端な夜半に京都から東京へ帰るやつなんて…いないかと

思いに馳せた、その時。


自分の隣の席でイライラしながら、腕を組んでるその姿は、紛れも無く


「三上…」


「よーー」

思わず数歩前で立ち止まる程、動揺を隠せず。

教えて無いのにどうして「ってか?」

「なっ」

「いや顔に描いてあっから」読んだだけ。

「何が…?」

思わず自分の席の反対側の座席にペたんと座り何食わぬかおして前を向けば

「お客さん、席違ってんじゃねぇ〜?」

の悪魔の声。

いや、別に。と、ここが空席である事は買う時に知っていたのを良い事にシカトした瞬間。

「っ…!」と

突然まき直したマフラーを引っ張られ、しまった首にここまでやるかと驚いて

振り向けば。


「タツボン、ど−言う事や?」

の声。


「は?お前こそ人の連れに何のつもりだ?」

とマフラーを掴んだその手から更に奪い取ったのは三上で。

そのまま発車ベルが響くのが聞こえていた。






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しつこい程の三水、スイマセン;京都弁が使ってみたかっただけです…。でもこれはお互い様なシゲタツの、つもり…







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