「桜庭先生が!?…どうされたました!?」

看護婦は息を切らしながらそのまま慌ただしく奥の事務へ駆け込むと。ドライバーやカナヅチの入った箱を持って戻って来る。

顔を見合わせる水野と風祭。

「設楽さん告知って?」あせる風祭。

…もしかして。またトイレ?

そう言ったのは水野だった。

設楽と呼ばれた看護婦が振り返る。

「そう…だけど?」

「水野さん知ってるんですか?」

くっきりとした大きな二重が、焦りからか少し苛立った視線で水野を見る。

「大丈夫ですよ。死にはしないから。」

「剃刀持って入ったのに!?」

フックから首だって吊れるし。

「受け持ちの患者さんが亡くなったりすると。良くなるんですよ。」

この前、癌で亡くなったから…11号室の……あの人。

「1,2時間すれば出て来ますから。」

まだ納得行かないと言う顔で立ち尽くす設楽看護婦。

どのみち。「俺ちょっと見て来るわ。」

「…行かない方がいいと思いますけど。」

無理に開けようとすると今度は殺し屋が来たと思い込んで、本当に自殺しかねないぞ。

そのどこか苦笑混じりの声にムッとすると、水野の方を睨んでから。

設楽は工具を持ったままステーションを後にした。

「あっ設楽さん。」

風祭の声。

「いーんですか?」

「いいんじゃないか。そこまでバカな真似はしないさ。」

「心気神経症ってやつですかね…?」膝の上の辞典をパラパラめくりながら、水野を見るが、

カルテに目を落としたまま返事は無かった。

そのかわり口元にはうっすら笑みが浮んでる気がした。


「それをいうなら強迫神経症やろ。」


あ、ノリックさん。

「ちょい見てや、これ。まったく桜庭センセのお陰でナースの仕事が増える一方や!」

「あ、ナースの仕事じゃ無くて、それはお前の仕事だから。」

ふふんと笑顔で睨み合う二人。

「主任。お帰りなさい。」

白く外界と隔たっていたこの部屋に、二人の登場によって日常の匂いが流れて来る。

「それじゃ、お前ら交代な。後よろしく。」

「はい。」と水野が席つのに立つのに合わせて、風祭が用意されたトレイを取りに行く。

簡潔に申し送られた紙に目を通し。

後ろのど付き漫才を聞きながら廊下へと出た。

「じゃ、ノリっく君は、ここまで終ったら昼でいーから。」
「いやーー。僕こんなおっさんの興味ないわ。」いたっ!なにすんねん!!このバ…主任!


昼間は突き当たりに有る窓一つの明かりに頼っている廊下は、昼間でも薄暗い。

南向きのその窓だけが、日の光を受けて光っていた。まるで何処からぬけ出す為の出口の様に。

恐ろしい程静かな廊下に二人の足音だけが響く。日に照らされた廊下の緑色が白い壁や天上へと反射して、

それはまるで廃屋の中の穏やかな午後を思い出させる様だった。

十字路に差し掛かると、日陰の冷たい空気が横から流れ込んで来る。

ふと横を向くと、ちょうど向うの方の角を曲って来た、桜庭と設楽が見えた。




風祭と別れて203と書かれた表札の前に立つ。

203 笠井竹巳


ノックをしても返事が無いのはいつもの事だった。

「失礼します。」

開ければ見なれた白衣の背中が飛び込んで来る。

「ああ?」

ちょっと不機嫌そうないつもの口調。

「三上先生、お時間ですけど。」

戸口の所から呼ぶ。

ここから先は担当の設楽以外の看護婦が入る事は許されていなかった。

「あと10分。」

そう言うと、またベットの方へと振り返る。

その拍子にちらっとベットの上に身を起こす少年の姿が見えた。

色の白い。三白眼の少年。

ちらっと垣間見えたその顔が、こちらに向かって優越の含み笑いを浮かべた気がした。

「わかりました。」

戸を閉めて、それに背をもたれたままこちら側で待つ。

何故かは知らない。

だが。三上がことさら手塩にかけている。203号室の患者。

扉に頭を付けていると、機嫌のいい彼の声が木の板を通して聞こえて来る。

「三上先生…?」

「あんだよ。」

向けば明るい笑顔で話し掛けて来る竹巳の姿。

フッとこちらもつられて、気が緩む。

ここだけだった。

三上が繁く通い心を尽くす特別な存在。

伸ばした手を頬に宛てがい。軽く撫でると、はにかんだ様に照れて、また笑う。

幾ら日に当てても白い肌。

逆光を浴びるその朗らかな笑顔が、儚さの象徴に見えて。

その度に鈍く心が傷んだ。

「んじゃな。」

そう言いながら腰を上げない三上。

「もうですか?」

「お仕事何でね。」

ちょっと皮肉って答える。

「じゃあ……して下さい。」

一瞬の事。

吐息が絡んで、また離れる。

抱き締めた。

どうかこの温もりが消えてしまう前に。

切なさが胸を焼く。

視線が絡んだ。




しばらくして小さな音を立てて扉が開くと三上が顔を出した。

戸口から少し離れた所に背を伸ばして立っていた看護婦に、無言で行くぞと促す。

「はい。」

さっきの誰かとはとはうって変わった堅く冷たい声。

「桜庭先生が…またトイレに篭城しまして…。」

「ふ〜〜ん。」

今さっきとはがらっと変わった虚ろな返事。

だがそれが、いつもの三上先生。

「どうして、あの人に診せたんです?」

「何が?」

「上原さんの事です。」

「別に〜。」

「先生。発作の事知ってらしたはずでしょう?」

「さあ〜ね。」

機嫌のメーターはまさに極悪。

看護婦に言わせれば、それもいつもの事だったが。

「ああ?・・・」

無言で自分の顏を覗き込んだ看護婦の顔がどことなく非難の目に見えて。


三上が立ち止まる。





ドンっっと。看護婦の体がうつ伏せに押し倒されたのは、

使われなくなった分娩室の台の上だった。

大昔ここが産科であった頃のなごりで。今は歪んで閉まらなくなった窓の隙間から侵食したツタの茂る。朽ちた白いタイルの部屋。

持っていたトレイがガシャンと音を立てたが、何とか中身をこぼさない事に成功する。

かちゃかちゃと後ろでベルトの外される音が響く。

看護婦は逆らわない。ただじっとこの嵐が通り過ぎるのを待っている様に。

腰を突き出し。折り曲げられた上半身の胸の位置で、トレイの端をしっかり握りしめ。衝撃に耐えようと身を潜めていた。

「いっーーーーーーーーつっ!!!!!」

脳天を貫くような痛み。

自然と涙が溢れた。

既に堅くなった彼の肉塊が無造作に押し進んで来る。

容赦などなかった。

痛みに上手く息がつげない。

握ったトレイが耳もとで酷い音を立てたが、それさえも吹っ飛ぶ寸前の意識にはノイズでしかなかった。

「あっあ・・あ・・あっ・・つっ・・う。」

めったに出さない……上がる声。

「あっうあああっっ……っああ……」

「あっ…あっ・・ああ・・・・あっっく…」

声を押さえない事で、痛みをやわらげようと必死の姿。

時折くすんとしゃくりあげる様な甘い声が混ざる。

流れる血のおかげで狡猾の良くなる看護婦の内腑。

ぐんっとさらに奥まで身を進めると、顔を歪めて悲鳴を上げた。

繋がった場所からは三上が出入りするだびに、看護婦のそこが飲み込めなかった血と精気の混じった赤い液体がボタボタと床へ落ちて行く。

めくられた白衣のスカートの裏には赤い染みが点々と飛び散っていた。

「も……め・・・ろ・・・」

「ああ?」「ん・・だって?・・」

「・…も・・・むり・・・・」

そういって彼女が意識を手放そうとしたその時。

下腹から別の痛みが襲う。

息が詰まりそうな程きつく掴まれた自分のペニス。

痛みだけだった感覚に言いしれぬ快楽が混じり出す。

吐息が甘くなったのを見計らって、医者が爪をたてる。

尿道に食い込む彼の堅い親指の爪。

「やめっーーーーーーーーー!!!あああ。あああーーーーーーーー!!!」

殆ど悶絶と言って良い絶叫があがる。

「この……・つっ・・・!!!」

強張った体がありったけの力で医者を締め付け、そして次の瞬間看護婦から一切の力が抜ける。

「・・・おい」

時々ひくりと痙攣の走る看護婦のからだ。

閉じられた瞳が、もうここに居ない事を告げている。

ダメか?

と医者が上から見守る中、濡れた長いまつげが震えてゆっくりとその瞳が開いた。

振り絞った力で台に両手を付き、身をおこす。

酷い顔色だった。にもかかわらず項も額も細かい汗でびっしょりで。

手をかそうとした医師を腕で避け。

「……っと・・スイマ・・セン…」

と詰まった小声でいうと。ふらふらと寝台の横に有った。赤茶けた白い洗面台にうっぷし。

激しく嘔吐し出した。

多分さっき精液が逆流したのだ。

過剰に温度の上がった脳がなんとか体にたまった毒素を吐き出そうと、臓物を吐き捨てる。

「・・・・・・。」

それを見ながらすっかり頭から血気の引いた医者は、少々気まずそうな顔を浮かべると

身支度を整えてから、側に来てその背中を摩った。

水道をひねると錆びた水が吹き出して、それを見た看護婦が再び吐き出した。




心療科の職員寮は。ナースステーションの横に有る『関係者以外立ち入り禁止』の札をこえ、

渡り廊下を真直ぐ行った突き当たりから始まって居た。





「三上先生は?」

夜の見回りに来た看護婦に訪ねる。

「ああ、今日は早退しましたよ。奥さんの急病で。」

「…そうですか。」

毎日必ず昼と夜の2回。彼とあうのが俺の日課だった。

「今日廊下、騒がしかったですね。」

「ああ。ちょっとねーー。」

猫目で二重の看護婦。時々憎まれ口がムカつくけれど、この中では妙に気のあう看護婦だった。

布団をかけ直し。花を取り替え。……

「何〜?そんなに寂しいんだったら変わりの先生呼んであげよっかー?」

ぼんやりと窓の外を眺めていると、目の前を覗き込まれた。

「鳴海先生とかーー。ヒマだと思うんで。」

「結構です。」

・・・・しんでも嫌。

三上先生の代わりなんて、いやしない。

「三上先生の奥さんってどんな人なんですか?」

「看護婦ですよ。…言っても知らないと思うけど。」

「どんな?美人?」

「・・・まー美人は美人だけど。…冷たい人かな。」

「ヘ−−−・・・。」

見てみたいな…思う。

窓の外はどんより曇っていて何も見えなかった。



11時を過ぎると、ほぼ全ての部屋の消灯が落とされて、2時半の見回りまで誰もこない。

何時しか覚えた点滴のはずし方。そっと部屋をぬけ出す。

音を立てない様に、スリッパを持つと裸足で廊下を駆ける。

角から顔を覗かせるが、

幸いナースステーションは誰も出ておらず、あっさりとその渡り廊下を通り抜けられた。



名前から言って、左へ曲るとナース。右へ曲るとドクターという部屋割りらしい。

右へ曲って8っこ目。

「三上」の表札の前で止まる。

・・・・・。

来たはいいものの。起きてるだろうか?

起きてたとしても規律を破った事を叱られるかもしれない。

それより。奥さんの看病で忙しいかもしれない。

………眠ってたらどうしよう。

そう思いながらも、何故だか今は自信が会った。

あの人の事を思い出しながら、ベルを鳴らす。

−−−−−−−−−−−−。

やっぱ、ダメだったか。と思った時。

ドアの遠くからっぽい返事が会った。

「はい?どうぞーー。」

聞きなれない…けどどっかで聞いた事の有るような声だった。

先生ではない。

カチャッとドアをあけると、

恐ろしく広い視界が開けた。

小さなドアや、寮と言う名前からは想像付かなかった。広い面積と高い天上のワンルーム。

コンクリー打ちっぱなしのその風景は病院の一角とは思えない別世界が広がって居た。

真正面のベットに二人が居た。

微かな笑い声がここまで聞こえる。

ベットから降りようとする奥さんを先生がふざけて引っ張り込んでいる様だった。

誰だ?

入り口から距離が有るので、枕元の電球一個じゃ良く見えない。

Tシャツにジャージ姿だけれどその顔は昼間の。

看護婦さん。

彼女がはっきりこちらを向いた。

「−!!?君は…どうしました?」

竹巳を見つけた瞬間、驚いた様に目を見張ったが、昼間のあの感じでは無く。柔らかな空気をまとって居た。

「先生ちょっと…」

呼んでも、転がりながら空返事の人を無視してこっちへ来る。

「どうしました?具合?それとも何か会りました?」

間違い無い。いつも先生を呼びに来る。あの水野とか言う看護婦だった。

「いえ…その先生に。」

俺の顔を暫くキョンと見ていたが、すぐに奥に声をかける。

「三上。…笠井患者だけど。」

三上?って呼ぶのか。夫婦なのに?

寝に入って居たドクターがやっとこちらを向くが。

「は? 勤務外は受付ねー−つってんだろ。」

!!!?

そう言うとまたゴロンと寝返りを打ってしまった。

…うそ…。

まるで厄介物でも見るかのような顔が、脳裏に突き刺さった。

嘘だ。

凍り付いた俺を看護婦までが、申し訳無さそうな顔で見ていた。

何故?

何もかもが嘘だったと言うのだろうか?

まるで別人。

どん底へ落ちて行く。


「…送って行くから。」

そういって看護婦が静かに戸を閉めた。





次の日。笠井竹巳の姿は病室から消えていた。

それを不思議に思う者は一人も居なかった。

何故?と聞く者も居ない。




「設楽さん?」

誰も居ないはずの病室が開いているのに気付いt風祭が中を覗くと、

あの猫目の看護婦がベットの横の窓から外を眺めていた。

「どうかしたんですか?」

「ああ…あんたか。」


さあ。良くわかんないけど。何かここに来ちゃうんだよね…。

「ああ、昔ここ設楽さんの患者さん居ましたもんね。」

「そーだっけ?」

覚えて無いなあ…と真面目に考え出す。

「昔の事ですから。」

「そーだな。…ま、いいや。」





三上先生。仕事熱心なのは良いんだけど。

あれじゃ恋愛詐欺じゃねーかよ。なあ〜〜?

昨日買ったばかりのグッチを借りパクされた桜庭先生がそんな事を言って通り過ぎて行った。


「よ〜をハゲ庭。」

「三上さん、ハゲにわはちょっと・・・」





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