洗濯石鹸って今でもあるんだね……。
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たまたまロビーで通り過ぎた通行人が三上を見て「あら久しぶりね〜」とにこやかに
会釈をかわし、竜也に視線を向けたものだから、
こっちまで軽い会釈を…。
エレベーターに乗り込むと再び2人きりの空間になる。
無言。
どことなく三上の方へ向かないように竜也が視線を固定していると、たまにこちらを見ている三上の視線を視界の橋に感じる。
チンと音を立ててエレベータが止まった。
黙って降りて行く三上の後に続く。
もしここで加閉ボタンを押して…逃げたら。と言うより、何で自分はここまでのこのこ付いて来たんだと言う疑問が、今さらになって浮んで来たのだが。
結局そう考えながらも足は三上を追うばかりだった。
そう新しくは無いが、綺麗な石畳の続く廊下を何件分か奥へと進む。
やがて『三上』
と書かれた表札が目に入る。
当たり前と言えば当たり前なのだが、まさか自分がこいつの実家に来るような事があるとは思って無かったから……、
自分から家に呼ぶのは大抵親しい友達と相場の決まっていた竜也から見れば、
成り行きとは言え、今自分がここにいるのは何だか妙な気分だった。
「はい。どーぞ」
竜也に扉を開いてみせた三上がタルそうにそう言った。
ぽかりと開いた暗い玄関の中から、よその家の匂いが流れて来る。
しかしそう言いながら、自分がさっさと先に入って行く三上。
・・・・。の竜也。
まあ、全身ずぶぬれのこれで人の家に上がれる状態では無かったが。
パチンとつけられたオレンジ色の電灯の下で、居心地悪そうに彼の指示を待っているしか無かった。
「おい、下脱いで、こっち来い。」
「は?」
突然の声に思わず漏れた声。下?
廊下の横の洗面所から顔を出した三上が、玄関に立つ竜也の焦った顔を見て「だから」とか言いながら戻って来る。
取りあえず靴下を脱いで、床に上がろうとしていた竜也の前に立ち、
その上着も引っ張って脱がしてしまう。小さい顔のお陰で、引っ掛かる事無く濡れたワイシャツからすぽりと頭がぬけた。と、今度はズボンのベルトにかかる手……
「ちょっ…」
「ああ?いーから脱げ。でないと上げねーぞ」
結局。身ぐるみ剥がされ、人ん家の玄関で渋々下着姿(トランクスとシャツ一枚)になった竜也はそのままバスルームに突っ込れ。
濡れた服を洗濯機に突っ込むと、唖然としている竜也にバスタオルを放る。
「じゃ〜な。出たらよべよ。」
と最後まで複雑な顔で自分を見送って来る視線を気にもとめずに、パタンと戸を閉めた。
居間へと戻った途端。大爆笑。
おいおい。マジかよあの顔。ちょーーウケ。写メ−ルしてえ!!
などと腹を抱えながら、誰も居ないキッチンで湯を湧かそうと。やかんを手にした時。ステンレスの上に置き去りに去れた、ボディ−ソープの替え置きが目に入った。
「・・・・・。」
取りあえず、手にとってみる。
それから風呂場の方を一景した。
「おい。お前何で洗ってる?」
「はい?」
風呂場のガラス越しに話し掛ける。
竜也は今ちょうど石鹸で泡を立てていた。後ろから響いて来た三上の声に顔だけちょっと振り返る。
「石鹸。」
「もう洗ちった?」
「今洗ってるけど…。何だよ?」
「それ、洗濯石鹸だわ。」
「えっ?・・・・。」
--------!!!!
「・・・・・。」
無言。曇りガラスの向こうは無言。
その予想どうりの反応が、手にとるように伝わって来る空気に、三上は笑いを堪えるのが必死だった。
「ま、洗剤見てーな毒じゃねーからどーって事ねーだろ。」
「・・・・。」
自分の家では、肌を洗う為だけにしかお目見えした事のないその固形物を手に。
竜也は固まっていた。
洗濯……んでそんなものが風呂場に!……まあ。まあ、だがそんな事より、
後ろで明らかに面白がっている三上の気配の方が今は大問題だった。
あんなに向けられていた嫌悪の念が、選抜を境に最近変わり始めているのを竜也も感じていた。
が。
あんまり。自分にいい方向に進んでいるとも思い難い。
「別に…洗えればいいから。」
「あ、そう?じゃ、良かった。洗濯機止まってたら乾燥機入れてこいよ。」
そういってドアの前にボトルをドンッと置くとそのまま去っていた。
・・・。カラッと開く。ドアの音を聞きながら、含み笑い。
雨のせいで幾らか蒸し暑い部屋の空調にスイッチを入れる。
カーテンを閉め。
湯を湧かして。
TVを付けて。ソファーへと寝転ぶ。
「やれやれ、」
濡れない代わりに帰って面倒になった気もするが。
「もっと拒否るかと思ったけど。意外だな・・・.」
正直言って、ここまでのこのこ付いて来るとは思わなかった。
2度と会わないつもりだったから、あんな事が出来たのだと思っていたのだが。
案外コレは、いいかもしれない。
こりゃ面白い事になったぞ…。と一人企む。
からかい半分に抱いた身体は、意外にも、性にあってて。幾人と過ごしたベットの記憶の中から、何故か奴の肌の感触を拾い出せた。
笠井の様に特別白くも無いし。女の様に柔らかくも無いが、薄い肌は手に馴染む心地よさがあった。
育ちのよさが良くにじみ出ているか様に。
は。とそこまで思い返して。思わず浮んだ数日前の情景に、何故だか嫌な焦心感に襲われる。
んな事どーでもいいけどよ。
使えるもんは、とことん使わせてもらわないとね・・・・。
と心の中で自分に言い返す。
「三上…」「おー。」
確かこの辺だったか?と数カ月入って居なかった自分の部屋から、
もう何処にしまったかおぼろげだったジャージを何とか引っ張りだして。
洗面所から廊下へ左胸半分の顔だけ出して自分を呼ぶ声にちんたらと歩いて行く。
「ドライヤーはそこ。乾燥機のスイッチは右の丸いやつ」
「ああ、分った。」
・・・どうも。
三上とは目をあわさないようにそう言うと、竜也はジャージだけ貰って引っ込んでいった。
・・・・。ついこの間まで、会えば嫌味しか言わなかった奴がここまで親切だと。
何かな・・・。
取りあえず先に乾かした下着を着て、借りたジャージを着て、最後に制服を乾燥機に突っ込んでから居間へと向かった。
時計の針は9時半をさしていたが、三上以外の家の人が帰って来る気配は無いようで…。
ソファー横のテーブルに散らかったカンビールやら。ポテチやらがそう告げていた。
ドアの開いた音に三上がこちらを振り向いた。
なれない気まずさか、もう反射的にこいつと向き合うと身体が緊張する様だった。
「あーお前の分そこにあっから。」
とカップ麺と。湧いているやかんのお湯を指差して、再びTVに戻る。
「あ、それついでにポットに入れといてくんねえ〜?」
ごろ寝して、いかにもトドとしか言い様のない態度の三上。
知らない奴でも。知ってる奴でも。人と居ると言うのは竜也にとって気のぬけない事なのだが…。
さすがと言うか、集団生活にはなれ切ったこのずーずーしさには
『恐れ入るな。』
と呆れを通り越して小さく失笑すると、ちょっとムッとした竜也だったが。
言われた通りに用を済ませてからソファーの方へと向かう。
「あ、ちとそれ取れ」
今度はテレパル。
「・・・・・。」
「お前さあ、」
「あ?」
「寮は?」
「あ、今日は旅行の留守番。」
嫌な予感が頭をよぎった。
まさか。「それで、俺の事連れて来たのか?」
「……ああ?テメ人の親切何だと思ってんだ?」
肩ひじ付きながら。お前は。その間。その態度。
あの2日間では判らなかった。武蔵森の三上亮の日常を垣間見た気がして。
竜也はどっと力が抜けるのを感じた。
文句を言いながらも竜也の姿を見ると殆ど自動的に身体を起こして、場所を開けてくれる。
親切と言うより。コレはもう寮生活の習性みたいだった。
話す事など特には無くても、めいめいが好きにやっているので不思議と困る事は無かった。
竜也は食事。
亮はTV。
フイに自分で席を立って行った三上が冷蔵庫からカンビールを2つ持って帰って来た。
無言で竜也に差し出すと。定位置に戻る。
「どうも。」
「い〜〜え。」
と無頓着に帰って来る。
何もかもが余りにも自然すぎて、こいつ。ここに居るのが自分(水野)だって事忘れてるんじゃ無いかと思う程だった。
3本目を開け終って、見たいTVも失せたと横を見ると、箸を持ったままコックリと逝っている奴がいた。「おい。」
「おいっつってんだろ。起きろっ!」
左の手を伸ばし後頭部を2度程叩くと。はっとしたように目を開けた。
最初に目に入ったのであろう、左手で握っていたカップ麺をテーブルに置くと。
箸は握ったまま、また寝に入ろうとする。
しばらく眉を顰めてそれを見ていた三上だったが……その内ニンマリと笑う。
何だ。
こいつは飲めねーのか・・もう呆けてやがる。
そまま引っ張ると、ゴロンと簡単に胸半分が三上の手中に納まった。
「う・・・・ん。」と淡く目蓋が開くが、すぐに閉じてしまう。
「あんた今日、あの金パにされたんだろ。」
まず、話し掛けてみる。
「・あ・・・〜〜・・っだろ。」
さっぱり聞こえねー。
「俺とあいつどっちが良かった?」
「・・・・・・。」
「ねえ。」
「・・・・ま・・・よ。」
耳もとに唇を寄せて話し掛けると。竜也が身じろいだ。
「いえよ。でないと犯るぞ。コラ。」
・・・・・。
・・・・・。
重く開いた竜也の目蓋が。
三上を斜に見上げて来る。
「・・・あんたが・・俺を好きならね・・・。」
いきなり湧いた明瞭な口調に三上が一瞬だけ固まった。
うつろな視線。だが口調はハッキリしていた。
口元にはかすかな笑みが浮んでいる。
「・・・・。帰んなら、あと20分でバス終るけど?」
それには無表情に三上が答えた。クスリと笑ったのは竜也の方だった。
次の瞬間。
思わず脈打った心臓が、徐々に何処か、感じた事の無い苛立ちの中へ歪んで行くのを三上は感じていた。
「…嘘だよ。」
そう言った竜也の顔が何かを侮蔑するように苦しそうに歪むと、
そのまま気絶するように目を閉じた。